嫌いな人は鏡に映った自分?嫌いと感じる理由と付き合い方

『嫌いな人は鏡に映った自分』と言うのを聞いたことがある。嫌いな人というのは、「これがあなたの姿だよ」ということを天から示されているらしい。これって本当なのだろうか?

ということは自分が嫌いだと思っている人は、相手も自分のことを嫌っているということなのか?

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嫌いな人は鏡に映った自分というのは真実なのか?

『嫌いな人は鏡に映った自分』というのは仏教からきた話だというのはよく聞きますし、意味することにもいろいろな説がありますが、心理学的には近親憎悪の心理が働いていることを表しているのだと私は思います。

近親憎悪と言うのは自分に近い人を無意識に嫌ってしまう心理です。ここで言う『近親』と言うのは家族や親類だけでなく、自分に近い性格の人だったり同じ思考・趣味を持っている人など似た者同士な人のこともあります。

一般的に似た者同士と言うのは相手に好意を持つものなのですが、しかし自分と悪い部分が似ていると逆に嫌悪感をより強く感じてしまうのです

特に自分でも直視したくないような自分の嫌なところと同じものを持っている人がいると、自分の嫌なところを鏡で見せられてるような感じがして、強い嫌悪感を感じてしまうのです

つまり『嫌いな人は鏡に映った自分』というのは、『自分が自分の嫌いだと感じている部分を、その人を見てると無理矢理見せられている気持ちになるので、その人に嫌悪感を感じる』と言うことなのです。ここで言う「自分が自分の嫌いだと感じている部分」と言うのは、自分の欠点だと意識できていることだけでなく、なんとなく無意識に嫌だと感じていることも含みます。

自分の欠点だと意識している部分だと、自分としてはその欠点をなるべく人に見せないように気をつけていたり直そうと努力していたりしているわけです。それなのに、そういう部分を気にせず見せてくる人に対しては抵抗感が強く出てくるのです。

また逆に無意識のうちに嫌だと感じている部分というのは、常々なんとなく嫌だと感じてるものと同じものをその人から見せられるので、なんだかわからないけど不快な気持ちにさせられるわけです。

ただ自分の嫌いな人全員が自分の嫌な部分を持っているかというと、必ずしもそういうわけではありません。それ以外にも人を嫌いになる理由は色々とあるのです。

嫌いな人ができる理由は?なぜ嫌いと感じてしまう?

では嫌いな人ができる理由には、どういうものがあるでしょう?

嫉妬や妬み

相手に嫉妬感や妬みを感じると、その人のことを嫌だと感じます。

自分より恵まれている、自分より能力がある、自分が好きだと思っている人から好かれている、自分が負けていると感じてしまう相手には好意よりも嫌悪感が生まれます。

特にその相手が自分と近い立ち位置にいると余計に嫌悪感が強くなります。

例えば同い年でも実業家としてバリバリやっている人には、単純に「すごいなぁ!」と感心したり、「自分も頑張れば近づけるかな?」と目標に思えたりできるのものです。しかし、同期で入社した同僚の方がボーナスが高かったりすると、感心するよりも腹が立つものです。「なんであいつが?」と思えてしまうと、その相手に嫌な気持ちを抱いてしまうのです。

相手が自分の期待に応えてくれない

人は自分の思っている通りに動いてくれない相手に大小あれど憤りを感じます。もちろん人というのは自分の思った通りに動いてくれるものではありませんが、「こうしてくれるだろう」と期待できることに対して、それに応えてくれない相手には嫌悪感を抱くのです

特に、「これだけのことをしてあげたんだから、そのお返しとしてこうしてくれるだろう」という社会的交換理論で抱いた期待に応えてくれないと強く嫌悪感を感じてしまいます。

あるいは、最初は良い印象だった人だととしても、だんだん本性が見えてきて当初持っていたイメージが裏切られてしまうのも期待に応えもらえなかった例の一つです。

また、して欲しくないことばかりしてくる人というのも、「して欲しくない」という期待に応えてくれない人になるので、嫌な感情を持ちます。

自分に危害を与える可能性がある人、過去に危害を与えた人

これは説明するまでもありませんが、自分に危害を与えそうな人は好きになれません。むしろ嫌です。

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そして当然過去に危害を与えられた人は、嫌いなはずです。相手が謝罪をして許すことができていれば別ですが。

またその人から直接危害を受けてなくても、過去に危害を加えた人・嫌なことした人と似ている人と感じると、その人のことを苦手に感じてしまいます。

相手からの好意が自分のキャパを超えている

人は人から好意を受けると、人間の無意識の心理として自分もその人に好意のお返しをしようとします。これを返報性の原理と言います。返報性の原理がうまく働いていると、好意の交換が進んでお互いの仲は良くなっていきます。

ただ自分が返せるキャパを超えた好意を受け続けると、逆に相手に負担を感じてしまうのです。相手から好意を受けているのに自分が返せないままでいると、不公平感を感じてしまい不快になるのです。この場合の不公平というのは、ある意味自分の方が得をしていることになるのですが、それが負担になり不快に感じてしまうのです。

例えば、お節介な人と言うのは度が過ぎると敬遠したくなるものです。これは相手が一方的にしてくる好意に対して、うまくバランスが取れないので不快感として感じてしまうためなのです。

相手が自分を嫌っていると感じる

相手が自分のことを嫌いだと感じたら、自分も相手のことを好きになりにくいです。

もちろんその人に魅力があって、『この人から嫌われていようと私は好きだ!』というケースもありますが、一般的には嫌われている相手に対してはこちらも敬遠してしまうものですし、これがだんだん嫌いに変わっていきやすいものです。

観念的・生理的に嫌悪感を持つ

人の感情として「この人嫌い」と感じてしまう相手というのはいるものです。具体的にここが嫌いと言う理由がなくても、「なんか嫌だ」、「なぜか好きになれない」人はできてしまうのです。極端な話、食べ物の好き嫌いでも「この味嫌い」と感覚的に嫌だと感じるのがあるのと同じように人の好き嫌いがあるのも仕方ないのです。

また、自分がこれまで生きてきて培ってきた観念というのは誰でも持っているものです。これは人それぞれ違うものですから、自分の観念と相容れない人は必ずいるものです。たとえ相容れなくても「こういう人もいるもんだ」と許容できればいいのですが、許容できない人に対しては嫌悪を感じるのです。

一方で最初自分の中にはその人に対する嫌悪感はなくても、自分の友人など近い人が嫌ってる人のことを、その影響受けて自分も嫌いになることもあります。

嫌いな人のことをずっと考えてしまう、嫌いな人にエネルギーを使うのはもったいない!どう付き合えばいい?

人は嫌いな人ができてしまうのは仕方ありません。嫌いな人がいる自分を「人間として未熟だ」などと責める必要はありません。

また逆に、嫌いな人に執着することで精神的エネルギーを使うのも、非常にもったいないことです。裏切られた、ひどいことをされた相手に対しては、嫌いと言うよりもむしろ憎しみに近い感情を持つこともありますが、このような負の感情というのはものすごい精神的エネルギーを浪費してしまうのです。

いつまでも憎しみ続ける、嫌いな人のことをずっと考えてしまうのは、心がどんどん疲弊してしまい、時間とエネルギーが無駄になります。憎しみ・嫌悪の感情を解き放ち心の平静を取り戻すには、その人に対して無関心になることが必要です。別にその人のことを許すとか嫌いじゃなくなるように努力する必要はありません。ただただその人に対する関心を無くせばいいのです。

嫌い・憎しみという感情は、その相手のせいで生まれたのかもしれませんが、しかしそれはあなたの感情です。ですから、心の中からその相手のことを消し去って、嫌いの感情の元から断ち切ってください。

さいごに

嫌いな相手とは付き合わないようにできればそれに越した事はありません。しかし仕事の関係者など、どうしても会わなければいけないこともあると思います。

こういう場合には、無理に仲良くする必要はありません。淡々と付き合えばいいのです。仕事の事など完全に無関心と言うわけにはいきませんが、必要最低限のやり取りだけして心を乱されないようにしましょう。

だだし挨拶とか業務で必要な報連相といった社会的マナーは守るべきです。嫌いな相手のせいで自分が嫌な奴にならないようにはしたいものです。

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